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大阪高等裁判所 昭和57年(ネ)746号 判決 1985年6月12日

昭和五七年(ネ)第七四三号事件控訴人(附帯被控訴人)

株式会社毎日

右代表者

川崎博太郎

右訴訟代理人

高木茂太市

右訴訟復代理人

久保昭人

昭和五七年(ネ)第七四六号事件控訴人(附帯被控訴人)

大阪府

右代表者知事

岸昌

右訴訟代理人

道工隆三

井上隆晴

柳谷晏秀

青本悦男

外六名

昭和五七年(ネ)第七四三号、第七四六号各事件被控訴人(附帯控訴人)

井上良三

右訴訟代理人

藤田一良

仲田隆明

新谷勇人

主文

一  控訴人(附帯被控訴人)大阪府の本件控訴及び被控訴人(附帯控訴人)の本件附帯控訴に基づき、原判決主文1項、3項及び4項を次のとおり変更する。

1  控訴人(附帯被控訴人)らは被控訴人(附帯控訴人)に対し各自金一〇〇万円及びこれに対する昭和四七年一〇月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人(附帯控訴人)の控訴人(附帯被控訴人)大阪府に対する謝罪広告の請求を棄却する。

二  控訴人(附帯被控訴人)株式会社毎日の本件控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人(附帯控訴人)に生じた分を一〇分し、その九を控訴人(附帯被控訴人)らの負担とし、その余は各自の負担とする。

四  この判決は主文一項の1に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一昭和五七年(ネ)第七四三号事件

1  控訴人(附帯被控訴人)株式会社毎日(以下「控訴人毎日」という。)

(一) 原判決中控訴人毎日の敗訴部分を取り消す。

(二) 被控訴人(附帯控訴人、以下「被控訴人」という。)の控訴人毎日に対する請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は控訴人毎日の負担とする。

二昭和五七年(ネ)第七四六号事件

1  控訴人(附帯被控訴人)大阪府(以下「控訴人府」という。)

(一) 原判決中控訴人府の敗訴部分を取り消す。

(二) 被控訴人の控訴人府に対する請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は控訴人府の負担とする。

三附帯控訴事件

1  被控訴人

(一) 原判決主文3、4項のうち金員支払請求に関する部分を次のとおり変更する。

控訴人らは被控訴人に対し、各自金一〇〇万円とこれに対する昭和四七年一〇月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。

(三) 右(一)の金員支払部分につき仮執行宣言。

2  控訴人ら

(一) 本件附帯控訴を棄却する。

(二) 附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一被控訴人の請求原因

1  被控訴人は、通産省大阪工業試験所に勤務した後、昭和三四年一〇月ころ呉羽紡績株式会社(以下「呉羽紡績」という。)に入社し、技術部長等に就任したが、同四一年四月同会社を退職し、その直後韓国の暁星物産株式会社(以下「暁星物産」という。)の嘱託となり、同四五年三月同会社の子会社として設立された東洋ナイロン株式会社(以下「東洋ナイロン」という。)の技術顧問となつたが、一方同四四年四月一日文部教官に任官し、(国立)京都工芸繊維大学短期大学部化学科教授に就任した高分子化学の研究者である。

控訴人府の警察本部警備部外事課(以下「外事課」という。)の警察官は、昭和四七年七月一三日被控訴人に対する旅券法違反の被疑事実により同人宅ほか二か所につき捜索差押令状を執行し、右同日から昭和四七年八月九日まで被控訴人を取り調べた。

2  被控訴人に対する取調べ終了後、松村龍二外事課長は、昭和四七年八月一〇日、各社の新聞記者を集めて以下の事実を発表した。

(一) 被控訴人に対する、(1)国家公務員でありながら昭和四五年三月九日から東洋ナイロンの技術顧問に就職し給与を得ていた国家公務員法違反の、(2)国家公務員の場合に必要な所属省庁の長の海外渡航承認書の提出を免れるため国家公務員の身分を秘し昭和四五年九月二九日ころ職業欄に会社嘱託と記載したのみで一般旅券(数次)の発給を申請し、右旅券の交付を受けた旅券法違反の、(3)呉羽紡績在職中同会社の敦賀工場第二期建設案設計図を自宅に持ち出し、昭和四一年四月ころこれを領得した業務上横領罪の各被疑事実(以下「本件各被疑事実」という。)につき、昭和四七年八月一〇日検察官への送致がなされた。

(二) 被控訴人は、昭和四一年三月ころから約二年間にわたり、同人の長女がチェコスロヴァキア国(以下「チェコ」と略称する。)に留学していたことから、同国の諜報機関員と目される駐日チェコ大使館のサフラネック二等書記官に対し、同人の指示に基づき、被控訴人が通産省大阪工業試験所及び呉羽紡績在任中に知り得た秘密に属する高度の科学技術情報及び資料を、東京、大阪で合計九回にわたり、一度使用した場所は二度と使わず、外国人がいても目立たない場所で、ひそかに交付し、国際産業スパイ行為に従事したもので、被控訴人が提供したものは、(1)タイヤコードについての日本三社の現状について、(2)ナイロンの凝固防止について、(3)人造皮革の製造の現状、(4)タイヤコードのディッピング工程等の諸情報に、各種データー、写真及び半製品のサンプルを添付したもの及び(5)東洋ナイロンが西ドイツのチンマー社から購入した製造プラントの青写真の一部である。

3  控訴人毎日は、全国にわたり日刊新聞紙である毎日新聞を発行していたが、昭和四七年八月一〇日から同月一四日の間に、毎日新聞紙面に概略次のような記事を掲載した。

(一) 八月一〇日夕刊(甲第一号証)

「教授が産業スパイ」「チェコ大使館員に化学資料を渡す」との見出しで、「大阪府警本部の調べによると、被控訴人は駐日チェコ大使館二等書記官に化学技術関係の資料を入手してほしいと頼まれ、ひそかに自分の関係する日本化学繊維会社などから技術上の秘密書類を持ち出し、同書記官に渡していた疑い。被控訴人が、取調べで語つたところによると、同書記官は被控訴人の娘をチェコに留学させるからと持ちかけ、留学後は要求する書類を渡さないと娘が帰国できないかもしれないと脅していたという。この犯行手口は、本職のスパイそこのけの巧妙さで、被控訴人が持ち出した書類を約束の場所に置くと、知らぬ顔で近寄り、鞄をその上に乗せ、鞄と書類をいつしよに持ち去つて他人の目をごまかしていた。この書記官は、重要書類を受け取つたあと、いち早く帰国、教授の娘も入れかわりに帰国できたという。」との記載がある。

(二) 八月一一日朝刊(甲第二、第三号証)

(1) 「国立大学(京工繊大短大)教授が国際産業スパイ」「チェコ大使館員に化学資料渡す」「娘の留学恩義からみ、合繊や人工皮革技術など」との見出しで、「外事課は、チェコの情報機関員に頼まれ、日本の大手化繊メーカーの高度な化学技術資料などを渡していた被控訴人を本件各被疑事実につき書類送検した。被控訴人は、チェコへ留学していた娘への恩義から、このような行為をしたもので、スパイ呼ばわりは心外と反論しているが、公安当局は、情報機関員との接触の方法、本人しか入手できない資料を渡していることなどから、被控訴人がエージェントだつたことは間違いないとみており、国際的なスパイ事件に関係者、業界はショックを受けている。」との記載があり、次に前記2の(二)とほぼ同内容並びに昭和二八年から被控訴人とチェコ大使員との交流があつたこと及び長女のチェコ留学の経緯等に関する記載がある。

(2) 別の紙面には、「暗号で密会していた」スパイ映画そつくり」「受渡し舞台くるくる」「喫茶店や公園・資料、英字紙にはさみ」等の見出しで、「被控訴人宅の捜索で見つかつた一枚の名刺に書かれた暗号数字を見たとき、外事課員は被控訴人の黒いカゲの実体を感じた。チェコ情報機関員と被控訴人の接触、資料受渡し方法は、スパイ映画を地で行くものであつた。会う場所を毎回変え、見知らぬ人を装つて公園のベンチに座つた二人の間で英字新聞にはさんだ資料がやりとりされた。密会の日時を三段構えに記した暗号数字の名刺。スパイ作業の基本を踏襲したものと外事課員もあきれるほど。外事課の調べでは、会う場所が外国人がいても不審に思われない場所を選び、レストランや喫茶店ではさりげない話をしながら被控訴人が机の上に資料を置くと、サフラネック書記官がその上に鞄を置き、立つときに鞄と一緒に書類を持ち去る、公園では、ベンチに座つた被控訴人のわきにサフラネック書記官がさりげなく座り、新聞の間に資料を挟んで持ち去る等のやり方。外事課は、最初に科学者としてのプライドを満足させ、次に長女の留学という親子の情でしばられたとみている。」との記載がある。

(三) 八月一一日夕刊(甲第四号証)

「二男もチェコ留学」「産業スパイ井上教授、疑惑深まる」との見出しで、「外事課は、被控訴人の最近の行動についても疑惑があるとみて引続き調べている。一一日朝までの調べによると、サフラネック書記官は昭和四三年九月に帰国したが、後継者に被控訴人を引き継いだ形跡があり、被控訴人宅の家宅捜索で発見された名刺の裏の七けたの数字が別のチェコ大使館員と連絡を取るための電話番号とわかり、被控訴人の二男も二年ほど前にチェコへ留学したことがわかつた。」との記載がある。

(四) 八月一三、一四日の各朝刊(甲第五、第六号証)

「情報戦争、産業スパイ事件の周辺」と題する連載において、「さりげなく茶封筒」「コロンブスの卵、中にしのばせて」「トップの背信」「マル秘も易々手に」等の見出しで、「チェコの大使館員が日本の高度な化学産業の情報を被控訴人から産業スパイしていた。その秘密を重んずる手口は本格的なスパイ教育を受けた外国の情報機関員を思わせる。被控訴人がサフラネック書記官に流していた人造皮革タイヤコード関係の生産技術は日本が特にすぐれている分野といわれている。また、被控訴人は、自分が関係している韓国の会社がチンマー社から買つた重合チップ製造乾燥抽出機の青写真を同書記官にコピーさせたことが判明したが、この機械及び原理そのものがチンマー社のノウハウ(技術情報)になつており、その原理はナイロン製造過程で原料を熱湯で洗うほんのちよつとしたアイデアだが、コロンブスの卵と同様秘密を知つてしまえばなんでもないものの、極秘扱いに値いするものだつたと専門家の間でいわれている。ひと握りのトップだつた被控訴人には企業の防衛策も障害ではなかつた。大阪府警が被控訴人宅の家宅捜索で押収した書類の中には、マル秘のハンと会社名をひつかいて消した「ナイロン6」の情報やチンマー社のノウハウなどがあつたが、被控訴人は職務上の地位を利用してやすやすと集めたと公安当局はみる。その他にも知人を通じて収集したナイロン以外の情報資料が多数みつかつている。」との記載がある。

4(一)  控訴人府の松村外事課長は新聞報道されることを認識して前記2の(一)、(二)の各事実を発表し、その結果被控訴人に対する本件各被疑事実の存在及び被控訴人を国際産業スパイと決めつける記事が控訴人毎日を含む各社の新聞紙上に掲載され、被控訴人の名誉が毀損されたもので、控訴人府は、右により被控訴人が被つた損害を賠償すべき責任がある。

(二)  前記3の毎日新聞の各記事は、被控訴人を国際産業スパイと決めつけるもので被控訴人の名誉を毀損するものであるから、控訴人毎日も右により被控訴人が被つた損害を賠償すべき責任がある。

5  被控訴人は、控訴人らにより、右のとおり名誉を毀損され、社会的名声を失い、多大の精神的損害を被つたので、控訴人らは被控訴人の名誉を回復する措置をとらねばならず、更に被控訴人の精神的損害を慰謝するのに少なくとも一〇〇万円を要する。

6  よつて、被控訴人は、右名誉回復措置として、本判決確定日から七日以内に、控訴人府に対し、毎日、朝日、読売、サンケイ及び日本経済の各新聞の全国版朝刊紙の第一頁に原判決添付別紙(二)a記載の、控訴人毎日に対し、毎日新聞の全国版朝刊紙の第一頁に原判決添付別紙(二)b記載の各謝罪広告を、縦三段、横一二センチメートルの大きさで各一回掲載することを求めると共に、共同不法行為者である控訴人らに対し各自連帯して右慰謝料一〇〇万円とこれに対する不法行為の日の後である昭和四七年一〇月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二請求原因に対する控訴人らの認否

1  控訴人府

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2の事実のうち、松村外事課長が昭和四七年八月一〇日各社の新聞記者に対して被控訴人に対する本件各被疑事実の検察官送致及び被控訴人のチェコ大使館員に対する情報提供の各事実を発表したことは認めるが、その発表内容は、松村外事課長において、別紙記載の新聞発表内容(乙第一七号証)を読み上げ、記者からの質問に対しチェコ大使館員とはサフラネック二等書記官である旨を回答したに止まるものである。

(三) 同4の(一)、5は争う。

2  控訴人毎日

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2の事実のうち、松村外事課長が昭和四七年八月一〇日各社の新聞記者に対して被控訴人に対する本件各被疑事実と共に被控訴人のチェコ大使館員に対する情報提供の各事実を発表したことは認めるが、その余は争う。

(三) 同3の事実は認める。

なお、昭和四七年八月一一日毎日新聞朝刊紙面において、被控訴人の反論談話が併せて掲載されている。

(四) 同4の(二)、5は争う。

三控訴人らの抗弁

1  控訴人府

(一) 被控訴人に対する本件各被疑事実は、公務員である国立大学教授の犯罪に関する事実であるから、公共の利害に係わり、松村外事課長は専ら公益を図る目的で右事実を発表したものである。

そして、本件各被疑事実の存在は、被控訴人宅ほか二か所の捜索差押え及び被控訴人に対する取調べの結果から明らかな真実である。

(二) チェコ大使館員に対する被控訴人の情報提供に関する事実は、国立大学教授が自己の子女の外国留学に関連して当該国の情報機関員と目される者に企業秘密をひそかに提供していたというもので、全体としてみて反社会的、反倫理的行為であり、犯罪へ発展する可能性の強い行為であるから、公共の利害に係わり、松村外事課長は、犯罪予防の見地から世間に注意を喚起し、もつて公益を図る目的で右事実を発表したものである。

そして、右発表事実が真実であることは、被控訴人の警察官に対する供述からして明らかである。ことに、被控訴人が提供したナイロン凝固(ゲル化)防止技術は、呉羽紡績が昭和四一年初めころ開発し、同年一一月から実用化した極秘の技術であり、同会社及びその後同会社を合併した東洋紡績株式会社(以下「東洋紡績」という。)の企業秘密であつて、同会社は、右技術につき、イギリス、イタリア等で特許を取得し、チンマー社との間で代金三五万ドルにて売却するオプション契約を締結したものである。また、被控訴人が提供したナイロン製造のための重合チップ製造乾燥抽出器のフローシートの青写真一枚(甲第二四号証)は、東洋ナイロンがチンマー社との間で締結したプラント購入契約により交付された図面の一部で、同図面にはチンマー社のノウハウが記載されており、同会社が東洋ナイロンに守秘義務を課しているチンマー社の企業秘密が含まれていたものである。更に、情報提供の方法は、名刺の裏面に書かれた暗号で場所を特定し、一回ごとに場所を変え、公園や道路上等でひそかになされていたものであり、被控訴人は、長女のチェコ留学に恩義を感じて、右のような企業秘密をサフラネック二等書記官に提供していたものである。

仮に発表事実中に真実でない部分が含まれていたとしても、発表事実の全部は被控訴人の警察官に対する供述に基づくものであり、暗号名刺の存在等右供述を裏付ける資料もあるから、松村外事課長が発表事実全部を真実と信じたことに相当の理由がある。

(三) なお、松村外事課長により右発表がなされたのは、控訴人毎日の記者が外事課による被控訴人に対する捜査の事実を探知し、その全貌を発表することを求め、毎日新聞紙面に右に関する記事が掲載される動きがあつたので、誤つた報道がなされることを防止するため、発表に踏み切つたものである。

2  控訴人毎日

毎日新聞に記事として掲載された被控訴人のチェコ大使館員への情報提供に関する事実は、国立大学教授が国際産業スパイに従事したものゆえ公共の利害に係わり、控訴人毎日の記者らは、報道機関の一員として、世間に警告し、もつて公益を図る目的で右事実を掲載したものである。

そして、右事実が真実であることは前記1の(二)の控訴人府の主張のとおりである。

仮に右掲載記事中に真実でない部分が含まれているとしても、右記事はすべて、松村外事課長の発表と控訴人毎日の記者の独自の取材により入手した被控訴人に対する調査結果に基づくものゆえ、真実と信ずることに相当の理由がある。

四抗弁に対する被控訴人の認否及び主張

1  抗弁1について

(一) 同(一)の事実のうち、松村外事課長の発表のとおり、被控訴人に対する本件各被疑事実につき検察官送致がなされたことは認めるが、その余は争う。

(二) 同(二)の事実は否認する。

(三) 同(三)の事実は不知。

(四) 捜査機関員は、被疑者の名誉を害してはならない義務があるから、犯罪に係わる被疑事実であつても犯罪成立の十分な心証を得られないものはこれを公表すべきではなく、ましてや犯罪の成立しない被疑者に関する事実はこれを公表することは許されないというべきである。

松村外事課長が発表した本件各被疑事実のうち、国家公務員法違反に関しては、多くの大学教員が兼職をしているもので、違法性の軽微なものであり、旅券法違反に関しては、国立大学教授に就任する以前から旅券の給付を受けていたため旅行代理店を通じて従前のとおり申請したものにすぎず、業務上横領罪についても呉羽紡績が東洋紡績に合併されるにあたり呉羽紡績を退社した際に自宅で保管していたものを返却するのを失念していたにすぎず、これにつき被害届すら提出されておらず、いずれも犯罪は不成立か、成立するとしても違法性の軽微なものであつて、未だ被控訴人に対する公訴の提起すらなされていないような本件各被疑事実と共に控訴人府も犯罪を構成しないことを自認するチェコ大使館員に対する情報の提供などという事実を被控訴人の実名をもつて公表することは、それ自体で右義務に違反するもので許されないところである。

以上のとおり、松村外事課長は、公表の許されない右各事実を発表したものであるから、公益性のゆえに不法行為の不成立を主張する控訴人府の抗弁はそれ自体失当である。

(五) 右(四)が認められないとしても、被控訴人をして企業秘密をチェコ大使館員に提供した国際産業スパイと決めつける右発表事実は真実に反するものであり、かつ、真実と信ずべき相当の理由もない。

すなわち、外国の大使館員が駐在国の情報を収集することは、その入手方法が非合法でない限り当然の職務行為である。そして、被控訴人は、公表された論文、特許、雑誌等から得られる資料をもとに論文を作成してチェコ大使館員に交付したにすぎず、企業秘密を提供したことは全くない。このことは、右発表にかかる事実において被控訴人が提供したとされる情報がいかなる企業の秘密であるかにつき控訴人府において次の二点を除き特定できないこと及び右発表の基礎となつた被控訴人の警察官に対する供述調書中には、企業秘密に関する記載がないことからして明らかである。しかも、被控訴人の右供述は、外事課の警察官が被控訴人に対して連日にわたる厳しい取調べを行ない、無理矢理供述させたもので、被控訴人の供述したことに虚偽があるばかりでなく、供述調書中には被控訴人の供述していないことや、情報の提供方法につき誇張された記載があつて、右供述調書の記載は全く信用性のないものである。

控訴人府は、被控訴人が提供したナイロン凝固(ゲル化)防止技術は、呉羽紡績ないし東洋紡績の企業秘密であると主張するが、被控訴人が呉羽紡績に勤務中に、ナイロン製造過程において、ゲル化の生ずる不都合が生じたことから、被控訴人がゲル化防止の原理を発案し、これを同会社の技術者に教え、同会社においてゲル化防止の実用技術を開発したものであるが、右ゲル化及びこれが防止の理論は公知に属するものであり、被控訴人は右実用技術の開発に参加していないし、開発された技術内容を知らされたこともなく、被控訴人がチェコ大使館員に教授したゲル化防止対策とは、呉羽紡績が開発した右実用技術ではなく、被控訴人が発案したゲル化防止の原理にすぎないから、これが呉羽紡績ないし東洋紡績の企業秘密に該当するいわれはない。

次に、控訴人府は、被控訴人がチンマー社の企業秘密の記載のある図面を提供したと主張し、被控訴人は取調べ警察官に対し、右図面を提供したことを供述したが、それは真実ではなく、警察官から強制されて虚偽の供述をしたものである。すなわち、警察官は、被控訴人宅から押収してきた多数の図面や書類のうちから、チェコ大使館員に提供したものがあるはずだとして執ように追及し、疲れ果てた被控訴人は、やむなくそのうちから、後日における弁明の難易を考えて当時の公知の事実のみ記載された重合塔と抽出機のフローシートにすぎない図面を提供してコピーさせた旨虚偽の供述をしたものである。

2  抗弁2について

(一) 抗弁2の事実は争う。

(二) 被控訴人をして、企業秘密をチェコ大使館員に提供した国際産業スパイと決めつける前記各記事が真実でないことは前記1の(五)のとおりであるばかりでなく、右記事中には、被控訴人の警察官に対する供述調書にすらない事実まで記載されているものである。

第三証拠関係<省略>

事   由

一被控訴人の名誉を毀損する事実の公表について

1請求原因1の事実及び同2の事実のうち控訴人府の松村龍二外事課長が昭和四七年八月一〇日各社の新聞記者に対し、被控訴人に対する本件各被疑事実の検察官送致及び被控訴人のチェコ大使館員に対する情報提供の各事実を発表したことは当者事間に争いがなく、請求原因3の事実は被控訴人と控訴人毎日との間で争いがなく、以上の各事実、<証拠>によれば、以下の事実を認めることができ、この認定に抵触する証拠はない。

(一) 通産省大阪工業試験所を退職し、昭和三四年一〇月ころ呉羽紡績に入社し、技術部長等に就任した高分子化学の研究者である被控訴人は、同四一年四月ころ同会社を退職した後、そのころ韓国の暁星物産の嘱託、同四五年三月同会社の子会社として設立された東洋ナイロンの技術顧問となり、いずれも相当額の報酬をえていたが、同四四年四月一日文部教官に任官し、(国立)京都工芸繊維大学短期大学部化学科教授に就任した。

(二) 控訴人府の外事課の警察官は、昭和四七年七月一三日被控訴人に対する旅券法違反の被疑事実により同人宅ほか二か所に対して捜索差押令状を執行し、右同日から昭和四七年八月九日までの間に約二〇日間にわたり被控訴人に対し身柄不拘束のまま取調べをした。

(三) 全国にわたり日刊新聞紙である毎日新聞を発行していた控訴人毎日の記者は、外事課が被控訴人に対して捜査、取調べをしていることを察知し、独自に被控訴人に関する事実を調査し、外事課員に対し捜査結果を知らすよう求めたため、外事課は、新聞紙上に掲載される前に正確な事実関係を発表し、もつて誤つた報道のなされることを防止する目的で、昭和四七年八月一〇日に各社の新聞記者を集めて、被控訴人に対する捜査結果を発表することを決定し、その旨を控訴人府の警察本部の記者クラブに通告した。

(四) 松村外事課長は、右同日、参集した各社の新聞記者に対し、予め外事課員が捜査結果に基づいて作成した別紙記載の新聞発表内容を読み上げ、その後記者からの質問に答えるいわゆるレクチュアをなした。

(五) 右発表に基づき、毎日、朝日、読売、サンケイ及び日本経済の各新聞の翌一一日朝刊に、被控訴人に対する本件各被疑事実が検察官送致されたことと並んで、それよりも大きく、チェコ大使館員に対する被控訴人の情報提供に関する事実が一斉に掲載された。右各記事において共通することは、「産業スパイ」の見出しがあること、被控訴人が同人の長女のチェコ留学に関連して、チェコ大使館員のサフラネック二等書記官に対し、職務上の地位を利用して入手した秘密情報を提供したということである。

(六) 控訴人毎日の記者は、前記(三)の通告を受けるや、右発表を聞く以前に独自の取材により作成した記事を送稿し、この原稿による記事が請求原因3の(一)のとおり昭和四七年八月一〇日の毎日新聞夕刊に摺載され、その後、右発表及び独自の取材に基づき、同新聞の、同月一一日朝刊、夕刊、同月一三日、一四日の各朝刊に、請求原因3の(二)ないし(四)のとおりの各記事が掲載された。もつとも、右一一日朝刊には、被控訴人の反論も併せて掲載された(以上の毎日新聞の各記事を、以下「本件各記事」という。)。

2以上認定事実によれば、松村外事課長が発表した内容は、別紙記載の新聞発表内容に止まらず、被控訴人は職務上の地位を利用して入手した秘密情報をチェコ大使館員のサフラネック二等書記官に提供した産業スパイであり、右行為は被控訴人の長女が留学中であつたことと関連しているとのことをも含んでいたことは、発表の翌一一日の各紙朝刊に共通して右事実が記載されていることからして容易に推認しうるところである。

以上を総合すると、右発表内容の要旨は、本件各被疑事実につき検察官送致がなされたことと共に、被控訴人は、同人の長女がチェコに留学中であることから、同国の情報機関員と目されるサフラネック二等書記官に対し、職務上の地位を利用して入手した企業秘密に属する次のような情報等を場所を変える等して他人に気付かれないようひそかに提供した産業スパイであつて、提供した情報等は、タイヤコードについての日本三社の現状、ナイロン凝固防止、人造皮革の製造の現状、タイヤコードのディッピング工程等と各種データ、写真、半製品のサンプル及び東洋ナイロンがチンマー社から購入したナイロン製造プラントの青写真の一部であるとするものであつたことが認められる。

そして、右認定事実からすれば、松村外事課長が右のような新聞報道がなされることを認識して右発表に及んだと認められるから、右発表が被控訴人の名誉を毀損することは明らかである。

3本件各記事には、被控訴人の反論を掲載した部分があるとはいえ、同人をして国際産業スパイと決めつける内容のものであり、右2認定の発表内容を超えて、被控訴人の長女がチェコの人質にされている、勤務先から技術上の秘密書類を持ち出してサフラネックに提供した、外事課は右発表後も被控訴人の二男のチェコ留学に関連して被控訴人のスパイ事件を捜査している等の事項及びサフラネックヘの情報提供方法の詳細な描写の各記載があり、本件各記事の掲載が被控訴人の名誉を毀損するものであることは明らかである。

二控訴人らの不法行為の成否について

1人の名誉を毀損する事実が公表された場合でも、その事実が公共の利害に係わり、専ら公益を図る目的で公表され、かつ、右事実が真実であると証明されたとき又は相当な理由があつて真実と信じたときは、不法行為は成立しないと解するのが相当である。

2そこで、進んで右1の事由の存在を主張する控訴人府の抗弁について検討する。

(一) 被控訴人は、捜査機関員には被疑者の名誉を害してはならない義務があることを理由に、松村外事課長が被控訴人に対する本件各被疑事実及びチェコ大使館員に対する被控訴人の情報提供に関する事実を公表することは許されないと主張するので、まずこの点について判断する。

犯罪捜査にあたる警察官には、刑訴法一九六条の規定をまつまでもなく、被疑者の名誉を害してはならない注意義務があることはいうまでもないが、他方警察官は犯罪予防(警察法二条一項)の見地から被疑者の犯罪にかかる事実を公表することがその職責上から必要な場合があるのであつて、右1の事由が存在する限り被疑者の犯罪にかかる事実の公表について不法行為は成立しないというべきである。そして、被控訴人につき本件各被疑事実のけん疑が存在しないのにかかわらず、被控訴人に対する被疑事実が存在するとして警察官が公表することはそれ自体で不法行為が成立するというべきであるが、けん疑が存在する場合にはまさに犯罪事実であるから、右1の事由が存在する限りは警察官がこれを公表しても不法行為は成立しないといわなければならない。また、チェコ大使館員に対する情報の提供は、それが未だ犯罪を構成するまでに至らないことは控訴人府の自認するところであるが、前記一の2の認定事実からして、その提供した情報が企業等の秘密に属するものであれば、職務上入手した秘密の暴露であつて、場合により窃盗罪、業務上横領罪等の犯罪が成立しうるもので犯罪と密接な関係があるから、犯罪予防の見地から警察官がこれを公表することは、右1の事由が存在する限り不法行為は成立しないというべきである。

よつて、被控訴人の右主張は採用し難い。

(二) 本件各被疑事実の公表について

(1) 被控訴人に対する本件各被疑事実について検察官送致がなされたことは当事者間に争いがなく、この事実、前記一の1の(一)及び(二)認定の事実、<証拠>によると、外事課は、昭和四六年一二月ころ匿名の通報を受けて被控訴人を内偵し、同四七年七月一三日になした前記捜索差押えの結果及び同日から同年八月九日までの間になされた被控訴人に対する前記取調べにおいて同人は本件各被疑事実を認める供述をしたこと及び関係証拠によつて本件各被疑事実を立件し、同月一〇日検察官に送致をしたこと、しかしながら、本件各被疑事実につき被控訴人に対する公訴は未だ提起されていないことを認めることができ、右認定に抵触する証拠はない。

(2) 右認定事実からすれば、被控訴人に対する公訴がなされていないとはいえ、外事課が本件各被疑事実につき被控訴人にけん疑があると判断したことは相当で、この点に違法はなく、松村外事課長による右事実の公表は、国家公務員の犯罪に関するもので専ら公益を目的とすることは明らかであつて、本件各被疑事実が右公表のとおり検察官に送致されたことは真実である。そして、本件各被疑事実が国立大学の教授の犯罪であり、そのうち旅券法違反、国家公務員法違反についてはその職務規律に違反する犯罪であることからすれば、実名入りで公表されてもやむをえないといわざるをえず、刑訴法一九六条に違反するとはいえない。

(3) してみれば、本件各被疑事実の公表に対する控訴人府の抗弁は理由があり、右公表により被控訴人の名誉が毀損されても、不法行為は成立しないというべきである。

(三) チェコ大使館員に対する情報提供事実の公表について

(1) <証拠>によると、被控訴人は前記取調べにおいて警察官に対し前記松村外事課長による公表にかかる情報等をチェコ大使館のサフラネック二等書記官に提供したこと及びその方法は東京、大阪の公園や喫茶店等において、一度使用した場所は二度と使用せず、他人に気付かれないようにひそかになされたものであることを供述したこと、外事課員は、右供述にかかる情報提供の方法が外国スパイの情報収集に酷似していることからサフラネックはチェコの情報機関員であること並びに被控訴人の前記職歴からして提供した情報等は同人が職務上の地位を利用して入手した高度の秘密であると断定し、主として被控訴人の右供述に基づいて松村外事課長は右公表に及んだことを認めることができ、右認定に抵触する証拠はない。

そして、右各証拠及び原審における被控訴人本人の供述から、右情報提供の場所、方法は警察官に対する被控訴人の右供述内容どおりであると認められる。被控訴人は、原審における本人尋問において右警察官に対する供述は虚偽である旨強調するが、右本人の供述によるも、東京都内における授受は否定するものの、大阪市内においては転々と場所を変えて面接、授受したことを認めているのであり、被控訴人に対する警察官の取調べが不相当であつたと認めうる資料はなく(後記(2)の③参照)、被控訴人が取調べ警察官に対し右の点について虚偽の供述をしなければならない理由も見出し難く、右認定に反する被控訴人本人の供述(原審)部分は措信できない。

(2) そこで、右公表事実が真実であるか、真実と信ずる相当の理由があるとの控訴人府の主張につき検討する。

① タイヤコードについての日本三社の現状、人造皮革の製造の現状、タイヤコードのディッピング工程と各種データー、写真及び半製品のサンプルについて

<証拠>によると、被控訴人がサフラネックに右情報等を提供したことを認めることができ、この認定に抵触する証拠はない。

しかしながら、控訴人府は右情報等の秘密の所有者が誰であるかを主張しないし、かえつて、右各証拠によれば、被控訴人が右情報等につき前記取調べにおいて供述したのは、公刊されている論文、専門雑誌、特許公報等から得た資料に基づいて被控訴人が解説したレポートに、業界紙掲載の写真や専門雑誌添付の半製品のサンプルを付加したものにすぎないことが認められ、その提供方法が異常であることのみでは右情報等に企業等の秘密が含まれていると認めることは困難であり、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

してみれば、右情報等の提供により秘密の暴露があつたとは到底認められないし、前記取調べにおける被控訴人の供述が右認定のとおりであることからすれば、右供述に基づく発表に真実と信ずる相当の理由があるとも到底認められず、よつて、右情報等の公表に対する控訴人府の抗弁は採用の限りでない。

② ナイロン凝固(ゲル化)防止について

<証拠>によれば、被控訴人がサフラネックに対しナイロン凝固(ゲル化)防止に関する情報を提供したことを認めることができ、この認定に抵触する証拠はない。

控訴人府は、右情報は呉羽紡績ないし東洋紡績の企業秘密であると主張し、<証拠>によると、呉羽紡績は、ナイロン製造中の重合過程においてポリマーのゲル化が生じ、糸が切れる不都合が起こつたことから、昭和四〇年初めにゲル化防止技術の開発に着手し、同四一年初めころ後重合を行なう真空蒸発管の中にスチームを吹き込むことによりゲル化を防止する技術を完成させ、同年末ころから呉羽紡績を合併した東洋紡績が右技術による操業を始めたこと、東洋紡績は、右技術に関し、同年六月一一日特許庁に対し特許出願をなしたが拒絶され、イギリス、イタリア等では特許を取得し、チンマー社との間で二万五〇〇〇ドルのオプション契約を締結したことを認めることができ、この認定に抵触する証拠はなく、これによれば、右技術は呉羽紡績ないし東洋紡績の企業秘密と認められる。

しかしながら、前記各証拠によるも被控訴人が前記取調べにおいて呉羽紡績(ないしは東洋紡績)の企業秘密であるナイロンゲル化防止の技術をサフラネックに提供したとの供述はないばかりか、かえつて原・当審における被控訴人本人の供述によると、被控訴人は、呉羽紡績在職中に、同会社のゲル化防止のプロジェクトチームに対して、被控訴人が、ゲル化の原因とされる公知の原理から考案した、引つ張りすぎない、真空にしない、高圧スチームを入れるの三つの条件を示したことはあるが、右チームが完成した技術については呉羽紡績を退職したため知らされてはおらず、被控訴人がサフラネックに提供したのは、右のゲル化防止の原理に関するものであつて、企業秘密である右技術ではないことを認めることができる。

そうだとするとナイロンゲル化防止に関する情報の提供により企業秘密の暴露があつたとは到底認められないし、前記取調べにおける被控訴人の供述が右認定のとおりであつてみれば、右供述に基づく発表に真実と信ずる相当の理由があるとも到底認められず、よつて右情報の公表に対する控訴人府の抗弁は理由がない。

③ チンマー社のナイロン製造プラントの青写真の一部について

<証拠>によると、被控訴人は、暁星物産の嘱託であつたところ、同社の子会社である東洋ナイロンは、昭和四一年一一月ころチンマー社との間でナイロン工場建設のためのプラント購入契約を締結し、これによりチンマー社からナイロン製造機械のフローシートの交付を受けたが、右図面にはチンマー社の企業秘密に属するノウハウが含まれており、チンマー社は東洋ナイロンに対し、右契約において右図面の第三者への開示を禁止する守秘義務を課し、右図面にはチンマー社の許可なく謄写を禁ずる旨の注意書が記載されていたこと、被控訴人は、東洋ナイロンから、右守秘義務に関する何らの条件も聞かされずに右図面のコピーを交付されたが、コピーには右の注意書は謄写されていなかつたこと、被控訴人は、右コピーのうち重合塔及び抽出機のフローシートが記載された一枚(甲第二四号証、以下「本件コピー」という。)を相当枚数の更紙に説明書を記載したものとともに昭和四二年四月か五月ころサフラネックに交付し、同人に謄写させて後その返還を受けたこと及び本件コピーには、温度指示器、圧力指示器等の配置等チンマー社のノウハウに属する系統図の記載があることの各事実を認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分は前記各証拠と対比してにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、被控訴人本人は原・当審における本人尋問において前記取調べにあたつた警察官からの強制や利益誘導で、本件コピーをサフラネックに交付したと虚偽の事実を供述した旨強調するが、<証拠>によれば、昭和四七年七月一三日から同年八月九日の間になされた取調べは、被控訴人の身柄不拘束のまま、午前九時ころから午後五時ころまで天王寺警察署内で行われ、土曜日及び日曜日は取調べは行われず、その他の日でも被控訴人の都合等で少なくとも三回は取調べのなされていないことが認められ、この間に特段の強制、強迫ないし利益誘導等がなされたと認められる証拠もないのであつて、被控訴人の経歴、年齢からして突如自宅等に対する捜索差押を受け、相当期間に及んで警察署において取調べを受けたことについて相当な精神的衝撃を受けたことを推察するに難くないが、既にチェコ大使館員に対して通常でない方法で数種の技術情報を提供したことを自供していた被控訴人が、本件コピーの提供についてのみ虚偽の供述をしたという合理的理由は見出し難く、被控訴人本人の前記供述部分はにわかに措信し難い。

右認定事実からすれば、被控訴人が本件コピーをサフラネックに交付したことはチンマー社の企業秘密を暴露したものというべきである。もつとも、被控訴人は東洋ナイロンから本件コピーを特段の条件も示されずに交付され、前記の守秘に関する注意書も存在しなかつたものであり、被控訴人が右行為によつてチンマー社の企業秘密を暴露する意図ないし認識があつたと認められる証拠もないことからして、被控訴人の右行為をいわゆる産業スパイなどと速断しえない面がないではない。しかしながら<証拠>によると、呉羽紡績が昭和三六年にチンマー社からナイロン製造プラントを購入してこれを敦賀工場に建設しナイロン製造を事業化するにあたり、被控訴人は当初から呉羽紡績の技術部門の最高責任者として従事したものであること、前認定のように昭和四一年ころ東洋ナイロンがチンマー社から同種プラントを購入した際、被控訴人は東洋ナイロンから右プラントの設計図のコピー(本件コピーを含む)を受け取り技術的指導に当つていたこと、呉羽紡績と東洋ナイロンがチンマー社から購入したプラントはほぼ同一のものであり、いずれもチンマー社のノウハウを含み、本件コピー図面も同様であることが認められるのであり、この事実に前記(一の1の(一))の被控訴人の研究、職業の経歴からすれば、被控訴人としても本件コピーの図面がチンマー社の企業秘密を包含するものであることは容易に知りえたものというべきであつて、少なくとも被控訴人は重大な過失によつてチンマー社の企業秘密であることを認識しないままこれを暴露したものというべきであつて、この点についての控訴人府の抗弁は理由があると認めるのが相当である。

(3)  右のとおり、控訴人府の情報提供事実公表についての抗弁は右認定の③チンマー社のナイロン製造プラントのフローシートに関する部分につき理由はあるが、その余の公表事実は企業秘密を暴露したものとはいえず、いずれも真実に合致せず、真実と信ずべき相当な理由があつたと認められないから、控訴人府の右抗弁はその一部につき理由があるものの、全体としてはこれを採用して控訴人府の不法行為を不成立とするまでには至らないというべきである。

3次に控訴人毎日の抗弁につき判断する。

当事者間に争いのない前記一の3の毎日新聞の本件各記事は、読者に被控訴人を国際産業スパイと決めつける印象を与えるものであり、そのスパイ行為と指摘する事実のうち前記チンマー社のナイロン製造プラントのフローシートに関する部分を除いては真実であるか真実と信ずべき相当な理由があつたと認めうる証拠はない。もつとも右記事は松村外事課長の発表内容に依拠しているところもあるが、右発表内容自体に、被控訴人が提供したとされる企業等の秘密につき誰のどのような秘密であるのか具体的な指摘はないことからすれば、被控訴人を国際産業スパイと断定することに疑問を抱くべきであり、右発表に依拠したというのみでは真実と信ずべき相当な理由があつたといえず、更に本件各記事には右発表内容に含まれない部分もあり、これにつき真実であるか真実と信ずべき相当の理由があることを認めうる証拠はなく、また刺激的な表現の見出しや憶測により脚色を加えた部分も存在していることからして控訴人毎日の抗弁もまた失当というべきである。

4以上説示のとおり、控訴人らの情報提供事実公表に関係する抗弁は、いずれもその一部の事実において理由あるものの、全体としては失当として採用し難いところであるから、控訴人らによる本件情報提供事実公表によつて被控訴人が名誉を毀損されたことによる損害につき、控訴人府は国家賠償法一条一項により、同毎日は民法七一五条により賠償すべき義務がある。

三損害及び賠償の方法

1<証拠>並びに弁論の全趣旨からして、被控訴人が本件各被疑事実並びにチェコ大使館員に対する秘密情報提供の事実を子女の同国留学と関連ずけて公表され、新聞に報道されたことにより、著しくその名誉を毀損され、多大の精神的苦痛を受けたと認めることは難くない。ところで、前者の本件各被疑事実の公表については控訴人らにその責任を問いえないところであり、これと同時に公表された後者の情報提供につき、しかもその一部について控訴人らに如何なる程度の責任を負担させるべきかは困難な問題である。

2まず控訴人府について考えるに、外事課自身、仮に被控訴人の本件行為が企業秘密の漏洩にあたるとしても、未だ犯罪を構成するものとは判断していないのであるから、警察官の犯罪予防の責務を考慮しても、本件各被疑事実の内容からみてその発表とともに右情報提供に関する事実まで公表する必要があつたか否かについて疑問なしとしない。上来認定の諸事実関係からして、外事課の警察官において、被控訴人の供述したチェコ大使館員に対する情報提供の方法が異常であつてスパイ活動に類似していることに目を奪われ、その提供にかかる情報がすべて企業等の秘密に属するかのように誤認し、情報提供の事実を列挙して被控訴人があたかも産業スパイ的行為をなしたような内容を公表するに至つたものと推認せざるをえないところであつて、その一部に真実の事実が含まれていたとしても、全体として被疑者の名誉を害してはならない旨の捜査警察官の注意義務に反し、被疑者の名誉に対する配慮が欠けていたといわざるをえない。

3次に控訴人毎日について考えるに、毎日新聞は本件各記事を昭和四七年八月一〇日夕刊から同月一四日朝刊まで連日にわたり掲載したものであり、その主調となつている被控訴人が国際産業スパイ活動をしたとの事実については、前認定のチンマー社のナイロン製造プラントのフローシートに関する事実以外は真実でないものであり、しかも産業スパイと呼ばれたことに対する被控訴人の弁明も取材しながらこれを八月一一日朝刊に掲載したに止まり(この点は<証拠>により認められる。)、終始被控訴人を国際産業スパイである決めつけ、かつその動機として子女のチェコ留学を強調する内容のものであり、一部脚色した内容も掲載しているのであつて、真実を報道すべき新聞としては、いささか常軌を逸したものといわざるをえず、これにより被控訴人の受けた精神的苦痛は多大であつたと認めるに難くない。

4しかし、被控訴人としても他から疑念を持たれかねないような異常な方法で外国大使館員に情報を提供していたのであり、しかもその一部に被控訴人において容易に知りうべき企業秘密も含まれていた事実も斟酌すべきである。

5その他被控訴人の地位、経歴等諸般の事情を総合判断すれば、前記精神的苦痛に対する慰藉料として、被控訴人が本訴で請求する一〇〇万円の額は過大なものとはいえない。

右損害の原因である松村外事課長の新聞記者に対する発表と毎日新聞の記事とは相関連し共同して右損害を生じさせたと認めるのが相当であるから、控訴人らは連帯して被控訴人に対し一〇〇万円を支払うべき義務があるというべきである。

6更に、被控訴人が謝罪広告を求める点につき考えるに、控訴人毎日については、本件各記事により毀損された被控訴人の名誉を回復する方法として、原判決が命じた謝罪広告(その内容は原判決添付の別紙(一)b記載のとおりであるからこれを引用する。)を毎日新聞紙上に一回掲載することを相当と認める。控訴人府については、松村外事課長の発表した内容がすべて真実に反したものでないこと、被控訴人においても他から疑念を持たれても止むをえないような行為があつたこと等に鑑み、かつは控訴人毎日に対し右謝罪広告を命じることによつてその名誉を回復する方法を講じうることを考慮し、控訴人府に対してまで謝罪広告を命じることは相当でないと認める。

四以上説示のとおりであるから、被控訴人の本訴各請求中、慰藉料として控訴人らに対し各自連帯して一〇〇万円及びこれに対する本件不法行為後であつて本件訴状送達日の翌日であること記録上明らかな昭和四七年一〇月一八日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分及び控訴人毎日に対し謝罪広告を求める部分はいずれも理由があり認容すべきであるが、控訴人府に対して謝罪広告を求める部分は理由がなく棄却を免れない。

よつて、控訴人府の本件控訴は一部理由があり、被控訴人の本件附帯控訴は理由があるから、右控訴及び附帯控訴に基づき原判決主文1項、3項及び4項を本判決主文一項1及び2のとおり変更し、控訴人毎日の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(石井 玄 高田政彦 礒尾 正)

新聞発表内容

外事課では、風評を聞き込んで以来一年にわたる内偵捜査を進めた結果、犯罪のあることを確信したので、八尾市宮町二丁目二の八、井上良三国立京都工芸繊維大学短期大学部教授(明治四三年三月一八日生)に対して、昭和四七年七月一三日旅券法違反(虚偽申請)容疑で三個所(同大学、本人自宅、東京所在の暁星物産株式会社)の家宅捜索を行なうとともに、二〇日間延べ一四二時間にわたつた任意取調べを行つた結果、同被疑者は昭和四四年四月一日から文部教官である京都工芸繊維大学短期大学部教官として勤務している国家公務員であるが、

1 韓国ソウル特別市中区小公洞六五の一においてナイロン製造を業とする東洋ナイロン株式会社の技術顧問として昭和四五年三月九日より就任し、多額の給与を得てその職を兼ね(昭和四一年から暁星物産株式会社と契約)、

2 昭和四五年九月二九日ごろ大阪市東区大手前之町二番地所在の大阪府庁において、一般旅券(数次)の発給申請をなすにあたり、国家公務員として必要な所属省庁の長の海外渡航承認書の提出を免れるため故意に国家公務員の身分を秘し、右旅券申請書の職業欄に会社嘱託と記し、もつて不正行為により同年一〇月八日同人名義の一般旅券の交付を受け、また昭和四一年四月ごろ大阪市東区本町、元呉羽紡績株式会社の技術部長として勤務していたところ、敦賀工場第二期建設案設計図を自宅に持ち出して領得した。

等の被疑事実が判明したので、旅券法違反、国家公務員法違反、業務上横領違反容疑で事件を検察庁に送致した。

これらの被疑事実の取調べを通じて、井上良三とチェコ諜報機関員と目される元チェコ大使館員との交流が行なわれていたという事実が判明した。その概要は、被疑者が大阪工業試験所および呉羽紡績株式会社在勤中に知り得たナイロン6、人造皮革についての高度の科学技術情報を元チェコスロバキア大使館員の指示に基づき、昭和四一年三月ごろから約二年間にわたり東京、大阪において数回の接触を重ね提供していたというものである。接触の場所は公園、喫茶店および有名な建物、ホテル等が使用されたが、いずれも機関員と目される大使館員より、一度使用した場所は二度と使用しない、外国人がいても目立たないような場所等の条件チェックを受けたのち決定され、情報の受け渡しも、公園のベンチにおける接触の場合は、日比谷公園の例をあげると、被疑者のベンチ横にすわり、被疑者のレポートを自分の持つている英字新聞でかくし、外から見えないようにして受け取り、喫茶店においては、被疑者に情報を提出させ、その上に自分が持つて来たカバンを置き、一緒に持つて出る等の方法を行ない、このようにして被疑者から提供された情報の内容は、「タイヤコードについての日本三社の現状について」、「ナイロンの凝固防止について」、「人造皮革の製造の現状」、「タイヤコードのディッピング工程」等の諸情報を各種データー、写真及び半製品のサンプルをつけて提供しており、更に、韓国の某社が西ドイツのチンマー社より購入したナイロン6の製造プラントの青写真の一部も提供されていた。

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